発達障害児グレーゾーンの子育てについて、今までの事を記録にしながら綴っています。
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発達障害児グレーゾーンの子育て記録⑨~始まる小学校生活~
小学校生活が始まると、父が学校へ送ることになりました。
学校へ行くと、初めのころは昇降口から中に入ることが難しかったのですが少しづつ入れるようになりました。
父の場合は、比較的スムーズに学校の中へ入ることが出来ていました。
そして、入学して2カ月大きなパニックもなく過ごすことが出来ていました。
本当に、このまま落ち着いてくれると思っていました。
あの日が来るまでは・・・
それは、入学して初めての授業参観です。
その様子については、こちらでまとめていますので読んでいただければと思います。
通常学級と同時に、通級にも通うことになりました。
当時、通級は通っている学校には無く、別の学校に通うことになりました。
朝の1時間目に別の学校で支援を受け、通っている学校へ向かうという流れが週に1度ありました。
こちらで、当時通っていた通級の様子をまとめています。
少しづつ出てくる拘り。
語彙力が低いのが原因か、言葉に対する言い間違いがありました。風船をぷうせんとずっと言い続け先生が間違いを指摘しても、決して直すことはこの時はありませんでした。
パトカーについても、言い間違いではないのですがパトロールカーとこれも指摘しても直すことはありませんでした。
先生も根負け(?)して、そのままぷんせんやパトロールカーとしていました。
小学校生活が始まって、落ち着いたと思ったものの、落ち着いていませんでした。
この時もまだ、『発達障害』という文字は出てきていませんでした。正確に言えば発達障害まではいかないものであるということで、グレーとは結びついていませんでした。
いっち一年生、担任も一年生の新任でした。親としても一年生。
波乱の幕開けでした。
次回は、いっちから離れて二人目まぐねこの話です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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