これまでの話。
前回から間が開いてしまいすみません。
今回は、いっちの始まった不登校と周囲の環境とこれからの対策について話し合う会議を開いた経緯と様子を綴っていきます。
今までにも少し触れてきましたが、想像していたことより大きな会議になった事がとても印象深かったです。
目次
本格化する不登校
少しずつ学校に行くことが出来なくなりつつありました。
基本的には、行けても木曜日か金曜日に学校に行くような状況でした。
本人に学校に行けない理由を聞いても「わからない」「なんとなく行きたくない」というような抽象的な内容でした。
本人以外は、学校には基本的に行ってほしいというスタンスでした。
しかし、無理に連れて行こうとすると泣き崩れパニックを起こす。周囲から冷ややかな視線を先生方や親は浴びる・・・
こうして至った不登校。
それが数カ月続き、改善の傾向はありませんでした。
同時進行する対応
学校に無理に連れて行っても、パニックで結局家に帰ることになる。
そんなことが何度も繰り返されていました。
家を出る時は問題なくても、学校についてから帰りたいとパニックになる。そういう時は、先生が説得してくれるが聞き入れる事は基本的にはありませんでした。
学校に行けたとしても通常学級にはいられない、しかし支援学級にも入れない。
居場所がありませんでした。
その為、緊急避難として通級の教室や保健室に居させていただきました。
先生が他児からは、通級や保健室にいることに対して疑問に問われることが増えてきたこと
をいっちが話してきました。
直接いっちに「なんでいっちはずっとここ(通級・保健室)にいるの?」「ずっと居てずるい」等言われるようにもなってきたとも話していました。
先生も理由を答えてくれてはいましたが、限界がある様子が見受けられていました。
親としてできる事は、改めて発達相談支援センターへの相談でした。
支援センターの先生方のアドバイスをできる限り実行していましたが、ここにきて学校も親も限界を感じていたため、その先についてアドバイスを求めました。
返ってきた言葉は・・・
「学校の先生と保護者と私たちで直接会って会議をしましょう。」
という事でした。
今までも、支援センターの先生から学校の先生へ直接連絡していただいたりしたことはあったのですが、親を交えた直接的な会議をするというのは初めてでした。
そして、支援センターの先生が日程調整をしてくださり学校で会議をすることとなったのです。
会議開催
会議前に学校の先生から校長先生も本会議に参加することになった旨聞きました。
入学式でのパニックからずっと気にかけてくださっていたとのことで、定期的にいっちに声を掛けてくれていたそうです。
いっちからも声を掛けていたこともあり、お互いが知った関係でした。ポケモンの話をよくしていたと言っていました。
いっちの話をすることを校長先生に話したところ参加する意向があったとのことでした。
3者会議と思っていた会議は、
学校側:担任・通級での担当教師・通級主任教師・スクールカウンセラー2名・校長
発達相談支援センター側:担当心理士・担当相談員
保護者:母・父
と10名が参加する会議となりました。
本会議の結果
いっちの現状と今後の対応について話し合いを行いました。
本会議の中身は、省略します。
(要望があれば、綴りたいと思います。)
結果として、校長先生が参加してくださったことで話を大きく進みました。
今後の対応としては・・・
1.いっちは、自由に学校へ行きたいときに行き、帰りたいときに帰る。その意思をいっちが必ず教師・親に伝える。
2.基本的には、一室にいっちの居場所を確保し通常学級にも自由に入りたいときに入り、出たいときに出る。1同様に意思を伝える。
3.その時々の気持ちを最優先とする。
4.一室にいる時は、いっちのやりたいことを自由にやりながら過ごす。その際、誰か教員が付き添うこととする。
5.通級における活動時間は、以前と同じように通級の時間を過ごす。
ということでまとまりました。
まとめ
不登校気味になったいっちに対し、対応に限界を向けつつあった、学校側と保護者側。
発達相談支援センター側が動き開かれた会議。
本結果については学校としても異例の対応となった事でした。
(この内容に至った事は、参加者全員がここまでの対応になるとは思っていなかった様子でした。)
今後の対応をまとめると、いっちの気持ちを最優先として学校で自由動ける環境を整うことが出来たこと。校内における最大の合理的配慮だと思います。
今後は、この決定事項に基づいて学校生活をしていくこととなります。
次回以降は、いっちの新しい学校生活の様子を綴っていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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