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いっち、動き出した3年生~深まる合理的配慮~

隙間時間の福l業
いっちの特性

小学校1年生、2年生と小さなパニックはちょこちょこありましたが、3年生になってからは理解力も上がり周囲の状況がなんとなく理解できるようになって、小さな環境の変化にも反応するようになってきました。

今回から、進む発達障害とその支援について綴ります。

今までの様子はこちら

 

 

 

目次

学校を休むことが増えてきた。

 

3年生になると、通級も通学している小学校内に新設され学校を行き来せずにシームレスで移動できるようになりました。

 

しかし、ある日を境に学校に行きたくないと寝室から出てこなくなりました。

いくら声かけても、行きたくない。わからない。と答えるだけでした。

発達相談の方に相談し、焦らず本人の意思を尊重するようにと話がありました。でも、さすがに学校に行かないのはどうしたものか?と考えていました。

しばらくしてから、いっちも学校に行かなくていいとわかると起き上がり、家でのんびりと過ごすようになりました。

そして、学校に行きたくない理由を聞くと・・・

3年生になって、クラス替えをしてから友人環境が変わり、少し精神的に不安定になったという事だった。

クラス替えについて、話をして説得し学校へ行くことになったが、学校周りをうろうろして遅刻することがり、教室に入れずに“グズグズ”言っていると担任に強制的に連れて行かれパニックになる事が少しづつ増えてきた。

 

対応したこと

 

いっちの状況を改めて見直すこととしました。

・周囲の環境が変わり精神的に不安定になっている。

・学習障害による語彙力不足により、自分の気持ちを言葉で他者へ伝えられない。

以上の事から、本人・学校・相談支援・両親間で間接的に話し合いを行い、いっちの特性を改めて共有し今後の対応策を検討しました。

 

話し合った結果

・いっちの精神的な落ち込みがあるときは、無理に登校をしない。

・時間に関係なく、いつでも登校・下校しても良い(その際は親が対応する)こととする。

・その際、他児童への配慮も行いいっちが学校に来ることへの心理的負担を軽減する

等を盛り込むこととなった。

パニックが起きた際は、廊下や空き教室で落ち着くまで泣き、パニック後は眠ることでリセットされていたので、休めるところで寝て教室に戻ることとなった。

なお、パニック中は、声を掛けたり触ったりすると悪化するため、基本的には誰か手の空いている教員が付き添うこととなった。

 

改めて思う事

 

3年生になってから発達障害と併発するうつ病も傾向として出てくるようになりました。

正直、この時は学校に行かせなければ!と思うことが強く、本人のペースに合わせて焦らずやっていくということが不安でした。

今に思うと、この時のこの対応が無ければ今はなかったと思うほどです。

親としては、焦る気持ちはありました。とても・・・

そこで、親としての気持ちでも戦いました。

 

焦ってはいけない。学校に行かなくても良い。

という気持ちと

家でだらだらしているのは環境的に良くない。

 

この二つの気持ちがこの時は、ずっとありました。

 

家で、だらだらするのは良くないということに対しては、学習ノート(ドリル)を買って家でやることにしました。(ここで、だらけてしまう事に対する葛藤はクリア。)

使ったドリルはこちら(準備中)

 

 

でも、この3年生から学校生活の発達障害としての大きな転換期になることになりました。

もちろん、親としても・・・

これは、話し合った結果の内容が大きいです。簡単に綴ってしまいましたが、この結果に行くまでいろいろ話し合いをそれぞれして、特に学校と相談支援の方々との話し合いが割合大きくありました。これがより大きな一歩になった事は間違いないと思っています。

 

言ってしまうと、このブログを始める根幹にもなる流れです。

次回はこちら

 

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

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