発達障害児グレーゾーンの子育てについて、今までの事を記録にしながら綴っています。
今回は、ASD(自閉スペクトラム症)が発覚してから意識的にいっちのこだわりが目立ってきた話です。
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発達障害児グレーゾーンの子育て記録41~目立ってきた拘りと対処~
当時のいっちは、パニックもさることながら独特のこだわりも併せて目立つようになってきました。
今回は、その一例を綴りたいと思います。
図工の時間は、木材をヤスリ掛けをしてきれいにしてからでないと作業を始める事が出来ませんでした。
その為、クラスメイトとの時間的な差もできてしまいました。先生が手伝おうとした際には、いっちの考えている手順と違ったため、パニックを起こしてしまう事も多発しました。
パニックが頻発するため、いっちのペースですべて行うということになりました。
理科の授業では、実験に参加した際に実験道具のバリ(プラスチックなどにみられるささくれの様なもの)をヤスリ掛けをして綺麗にしてからでないと実験を行うことが出来ない事が頻発しました。
事前に、いっちに実験道具を渡して授業前にいっちスペースでバリ取りをしてから授業に参加するようにしました。
鉛筆が短くなっても新しいものに帰ることが出来ませんでした。
それがこちら
鉛筆ってここまで削れることにある意味驚きました。
この対策として、短くなった鉛筆は袋に入れて保管するということで納得し新しいものに変えていくことが出来るようになりました。
自分の体温管理をすることが難しい。暑い日でも、アウターを着て過ごしてしまう。汗もかいているが気にせずに来ていることがありました。
この問題については、今も解決しておらず都度声を掛けてアウター等は脱いで過ごせるように家・学校では行っています。
さらに、冬場では寒がりなのか重ね着を必要以上にしてしまう。
声を掛けないと Tシャツ+ロンT+薄いパーカー+厚手パーカー+アウターの5枚重ねで外出してしまう。(これにホッカイロを貼る時も)でも、スキーには積極的にいく・・・
着ている服の枚数を減らすように声掛けをするものの、抵抗感がとても強く何度も言うとパニックにななってしまいます。
これも、上記と同じように適宜声を掛けながらパニックにならない程度に対応しています。
その他にも、いっち自身に独自のやり方(進め方や片付け方)があり、そのやり方に手を出してルーティンを崩してしまうとパニックになるため、やり方を見極めてから声かけをています。
今回は、小学校5年生から6年生で強くなった拘りとその対応について少しまとめてみました。
ASDの診断を受けてから、その行動に納得することも多くあり、少しづついっちへの対応にも余裕が出てきました。
次回は、不登校が断続的に続いていたいっちですが、あることがきっかけで学校に行くことが出来るようになったはなしです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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