「わがままだから我慢せぇ」
今回は、合理的配慮とわがままの観点からこのニュースについて考えたいと思います。
発達障害児グレーゾーンの親として、HSS型HSPと言う特性を持った一個人としてですが。
目次
概要
先日、名古屋城の天守閣復元を含む名古屋市で市民討論会が行われ、その中で復元に対するエレベータの設置について討論が行われました。
ニュースの概要はこちらから
その中で、特にフィーチャーされているのが、
天守閣復元に伴うエレベーター設置の有無についてです。
平等とわがままを一緒にすんなって話なんですよ。エレベーターも電気もない時代に作られた物を再構築するっていう話なんですよ。その時になんでバリアフリーの話が出てくるのかっていうのが荒唐無稽で。どこまでずうずうしいのって話で、我慢せえよって話なんですよ、おまえが我慢せえよ。 エレベーターの設置を訴えるのは「わがまま」であり「ガマンしろ」と言い放つ男性。 さらに別の男性は、“直接的な差別表現”を交えて主張します。 反対派の男性: 生まれながらにして不平等があって平等なんですよ。(差別用語)で生まれるかもしれないけど、健常者で生まれるかもしれない、それは平等なんですよ。どの税金でメンテナンス毎月するの?そのお金はもったいないと思うけどね。
ニュース記事からの.一部引用です。
このようなやり取りがあり、その後周囲から拍手がありました。
その映像も見ました。
問題点
改めて話の流れですが。。。
市:新しく名古屋城を作ります!今度は、当時のままを再現します!!その為に、資金を募集します!
市民:当時のままを完全再現するって!?それは見たい!なら、金シャチ募金するぞ!!
市:バリアフリーのために1~2階まで小型のエレベーター入れるようにするよー
反対者:はぁ?エレベーターとか入れたら、完全再現じゃないじゃん!!
市:え?いや、1~2階までだし…5階までは作らないよ!!上層階はそのまま再現するよ!
賛成者:え?5階まで作らないの?上れないじゃん!障がい者の事考えてない!障がい者排除だ!
反対者:はぁ?なに言ってんの?完全再現だよ?エレベーター入れたら完全再現じゃないじゃん!
反対者:わがまま言ってんじゃないよ!我慢しろよ!こっちは、完全再現が見たいんだよ!
反対者:エレベーター導入したとして、そのメンテ費用とか税金だろ!?誰がその税金だ知れると思ってるんだ!?
市:・・・。
ニュースを読むとこのように受け取れます。
(やっぱり、映像を見ているのはしんどいですね。。。)
この件において、問題なのは個人的には双方の言い方にあると思っています。
エレベーター反対の方の気持ちとしては、天守閣を建設当時の100%再現を期待している。その為には、現代の利器を天守閣内に用いる事はあってはならない事である。ということなのでしょう。
文化的・知的財産としての価値を求める事なのだと思います。
エレベーター賛成の方の気持ちとしては、新しくできた天守閣の内部をこの目でしっかりと見てみたいという事である。ということなのでしょう。
双方の言い分は、個人的には理解します。当時の状況を100%で再現をするのであるならば、エスカレーターやエレベーターを取り入れては、100%ではなくなってしまう。
そもそもの前提として、往時のままに再建するようなことが公式ページで書かれています。
ですので、市民からは往時の様子が見れることを期待するのは当然のことと思います。
その証拠が、意見後の拍手なのでしょう…
しかしながら、このコンプライアンスにタイバーシティーや合理的配慮が求められる時代に、上記のような言い回しをして良い理由にはならないと思っています。
そもそも、市の職員?が居て誰も話の仲裁に入らなかったことが一番の問題だとも思っていますけど・・・
何のための公的な討論会なんでしょうか?言わせ合うだけであとは放置ですか?
わがままと合理的配慮
以前に、当ブログでもわがままと合理的配慮について記事にしたことがありました。
今回の件で『わがまま』というのであれば、
エレベーターを排除していることは、障害者を排除している
という言い回しです。
名古屋城が新しくなるんだったら、中に入りたいからエレベーター作ってよ。100%再現とかいいから。エレベーター作らないとか差別だ!!
言い換えれば、このように感じる人もいるかもしれません。
このように捉えられ、ストレスも相成れば暴言に至ってしまう事も心理だと思いいます。
実際、記事やニュースを見た時に違和感のようなものはコレでした。
この記事やニュースの報道の仕方だと、明らかに反対者の言い方が目立ちます(悪いのは当たり前です)が、これでは賛成者の意見を正確に伝えていないとも思います。賛成者のこのような意見だけを切り取ってしまうと、本当にただの『わがまま』になってしまいます。
合理的配慮の観点から話すのであれば、
復元された天守閣にみんな(健常者)が自由に支払って登れるのであれば、車いすの方だって支払いをして自由に上る権利がある。
そのことに対して、合理的配慮足りうる対応策(妥協策)を求める。
ということにならなければならないと思います。
障がい者は、公的機関の施設などでは一部割引や無料のところが多くあります。そのことも、平等と不平等という考え方に繋がったのかと思います。
合理的配慮は、平等に基づいて行われることであると思っています。
まとめ
これらを通して感じた事は、
エレベーター反対者の意見は言葉としては、気持ちを理解した上で明らかに度が過ぎている。それが、気持ちがいくら入っていたとしても討論会という公的な場において論外と感じるほどに。
しかし、賛成者の一部的な話を見るにわがままと捉えられてしまう事も当然にあると思います。
エレベーター賛成者の意見としては、実際現場にいたわけではないのでどのように話していたのかは不明であるが、客観的な意見として周囲に理解を求めるように伝える事が必要だったのではないかと感じました。
この意見だと、僕も昇りたいからエレベーター作ってよ。作ってくれないとか障がい者差別だ!と言っているように聞こえてしまう。
これでは、上記の感情的になりやすい人も出てきてしまう。まともな討論会にはならないと思います。
そして、何よりそれを御するスタッフがいなかったこと。これが問題を大きくした原因とも思います。
個人的に、このままこの話題が消えていくようであれば、根柢の問題、障がい者に対する支援の在り方について進まないように思います。
問題点を合理的配慮の観点から話を進め、広げていくことが大切と改めて感じました。
合理的配慮は、求める側とする側にお互い理解が無いと成立しないと思います。
その為には、しっかり自分の状況を客観的に周囲に伝え、理解を得られなければただのわがままと言われてしまいます。
駄文でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
もしよろしければ、他の記事も読んでいただけると幸いです。
コメント