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増え続ける不登校~それぞれの限界と大会議へ~

隙間時間の福l業
親としての支援

これまでの話。

小学校4年生になったいっち。

(発達障害のグレーゾーンであり、学習障害の特性をもっています)

ついに、学校にほとんど行けなくなってしまいました。いわゆる不登校です。

基本的には、学力では1年生レベルなので教室に行っても理解が出来ないため学校に行く意味もない状態になってしまっていました。

少しづつ勉強はしてほしいという事で、支援センターで教えていただいた学習ドリルを用いた自主学習にも取り組むようになりました。

しかし、ずっと家に親がいる事は物理的にも不可能でした。

学校に行こうとするも、学校前の道路でパニックになることもありました。

その時は、手の空いている先生が近くで付いて親が迎えに来るまで待っていてくれることも何回もありました。

 

目次

心理的な問題

 

気持ちの表現が難しいため、『わからないけど』学校に行きたいくないという気持ち。

でも

学校には行かなければならないという気持ち。

 

この時は、学校に行けなければ行かなくていいという判断をしていましたが、いっちの中では上記の二つの気持ちが交じり合っていたのだと思います。

入り混じった気持ちが処理しきれなくなりパニックを起こしていたときもありました。

 

他にも家にいる時は、学校に行こうという気持ちが強いと家を出る事は出来ても、学校を目にすると行けなくなってしまう。ということもありどうしていいかわからずパニックになる。

どの気持ちに、出来る限り寄り添って親も対応していました。

 

どうして、学校を前にすると行けなくなってしまうのか?

学校に行くと、終わるまで学校に拘束されるから行きたくないというのです。

 

当たり前の事です。

 

学校に行けば、授業がすべて終わるまで学校に居る。

 

これがプレッシャーになってしまっているようでした。

 

限界を迎える学校と親

この時期は、学校に行けないか行ってもパニックになり学校どころではなくなる。

親が迎えに行くことになります。

仕事を休むか穴抜けするかという形になります。それも、学校でパニックになった日は必ず。

これでは、仕事にも影響が出てしまっていました。

特別支援学級にも入れず、通常学級の授業にも全くついていけず。家にもずっとはいられず。

小学校3年生から始まりだした問題がいよいよ大きく表面に出てくるようになりました。

そのころには、親はもちろんのこと先生方も対処しきれないところまで来ていました。

学校でも現段階で出来る限りの合理的配慮をもって対応してくださっていました。

 

しかし、八方塞がり。どうすることもできなくなりつつありました。

 

すがるように発達相談支援センターへ駆け込みました。

 

そうして、切り出されたのが・・・

 

 

学校と発達相談支援センターと親の直接三者会議でした。

 

この、直接の三者会議で大袈裟ですが本当に大きく動くことになりました。

 

この時はまだ、この会議がきっかけでHighpapa自身も変わることになるとは思っても見ませんでした。

 

次回は、その会議について話をしていきたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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