発達障害児グレーゾーンの子育てについて、今までの事を記録にしながら綴っています。
今回は、学校復帰に向けた自宅での支援(合理的配慮)から次の学校での支援(合理的配慮)へシフト移行していきます。
前回の話はこちらから
始めからの話はこちらから
綴ることの思いや考え方もこちらからご覧ください。
発達障害児グレーゾーンの子育て記録31~合理的配慮学校編~
少しづつ学校の門をくぐれることが増えてきました。
やがて、昇降口(下駄箱)まで行けるようになりました。
この間も、家にいる時や登下校の時の様子を適宜学校の先生たちや発達相談支援センターの職員の方たちへ報告をしていました。
学校へ行けるようになったいっち。
課題は次のステージへ移行していきます。
次は学校での居場所です。
学校に行く前提として、途中で帰りたくなったら親(保護者)が迎えに行って一緒に帰ります。
教室に入ることは、まだまだ困難なので教室へ行けるようになるまでどのように過ごすか?ですが、学校の先生たちみんなで話し合っていただいたようで、空き教室でいっちのスペースを作って過ごすことが決まりました。
空き教室では、自宅で行っていたいっちが自分でスケジュールを決めて過ごすというスタイルを継続してくれることになりました。
学校での過ごし方は、家で行っていた勉強(自主学習)に加えて学校にある道具を使わせていただきました。
学校にある道具というのは、特別支援学級や通級にあるものです。
例えば、アイロンビーズやオセロ・将棋など知育系の道具。
それらを用いる事で、学校に居る時間もいっちの限られた中で無理なく自分で決めながら行動させて頂きました。
たまに、勉強そっちのけでアイロンビーズや将棋にのめりこむことも多々ありました。
学校に居る間も些細な事でパニックはたくさんありました。
パニックの内容や対応については改めて、後日記事にしようと思っています。
アイロンビーズでは、キャラクターもの(ポケモンとか)の作品をよく作成していました。
その他に、クラスの国語の授業に追い付けるようにと、当時まだ導入されることも検討されていなかったタブレットの持ち込みを(発達相談支援センターの職員の方からアドバイスを頂きました)許可して頂き持参して、同じくアドバイスを頂いたデイジー教科書を導入しました。
デイジー教科書についてはこちらで紹介しています。
学校に行けるようになったいっちですが、コンスタントに行けるようになったのはさらに2カ月程かかりました。その間、学校に行く途中で帰ることになったり、そもそも学校に行けなかったりということも断続的にありました。
焦らない、ゆっくり・・・
親(保護者)もこの気持ちを常に念頭に入れていました。
まだまだ、学校へコンスタントにいくことは難しいですが、確実に学校に行けるようになったいっち。
次回は、教室へ!授業への参加について綴りたいと思います。
いっちの教室へ行く気持ち。クラスメイトのいっちに対する気持ち。担任、通級の先生たちの対応・・・等をまとめたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
コメント